2007年 大阪大(法・経済・人間科) 第三問
(問題)次の文章を読んで、後の問い(問一~問四)に答えなさい。
兼家公の忍びて通ひ給ひし程の歌など書き集めて、蜻蛉日記と名づけられたるは、すなはちこの道綱の母の作なり。その日記には天暦八年より後天延二年まで、およそ二十年ばかりの事もあり。さてかの日記の天暦九年の所に、十月の末に三夜ばかり打続きて兼家公のおはせざりし事ありて、(A)暁方に門を叩くことせし故、おはせしにやと思はれたれど、この程はほかに通はせ給ふ所のありげなれば、わざと門をあけ給はざれば、定めて例の所へおはしけんと思ひ居給ひけれど、あくる朝になりて、
嘆きつつひとりぬる夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る
と詠みて、(B)いつもの文よりは引きつくろひて、うつろひたる菊の花にさしてやり給ひしかば、兼家公の返事に、夜前そなたへ参りたれど、門をあけ給はざる故、夜のあくるまで立ちて待つべしと思ひつれど、禁裏より御使賜はりたればよん所なく帰りぬ。ほかにあかせしにやと疑はるるもむべなる事ながら、など書きて、かの歌の返しに、
(C)げにやげに冬の夜ならぬ槙の戸も遅くあくるはわびしかりけり
これは、かの女君の歌にひとり寝をして夜のあくるを待つは、いか程久しきものと思し召さるるぞと詠み給へるを受けて、まことにそなたの申さるる冬の夜のあくるを待つ間は久しきものにてあらんが、その冬の夜にはあらぬ槙の板戸も、遅くあくるを待つは苦しきものにてありけりといふ心なり。(D)さてこの嘆きつつの歌の事書を、後の拾遺集にはその夜の贈答のように書きたれど、蜻蛉日記を見れば、翌朝の贈答なり。
(『百人一首一夕話』による)
問一 傍線部(A)の内容を、誰の行為かを明確にした上で、八〇字以内で説明しなさい。
問二 傍線部(B)を現代語訳しなさい。
問三 傍線部(C)の和歌を、本文に即して現代語訳しなさい。
問四 傍線部(D)では、「嘆きつつ」の和歌について、拾遺集と蜻蛉日記の違いを述べている。本文は蜻蛉日記の記述に即して書かれているが、拾遺集には、「入道摂政(=兼家)まかりたりけるに、門を遅くあけければ、立ちわづらひぬといひ入れて侍りければ」とある。この拾遺集の記述について、蜻蛉日記との違いがわかるように、八〇字以内で説明しなさい。
(解説)
本問は、1999年東京大文系第五問の類題であり、『蜻蛉日記』「うつろひたる菊」の履修の有無により答案の出来を左右するものと考えられる。なお、1997年神戸大(医-保健)、2002年宇都宮大(農・教育)などのように、『蜻蛉日記』「うつろひたる菊」自身を出題する大学も存在する。
問一
傍線部(A)を「説明しなさい」とあるが、主語を補って現代語訳し、文末を整える程度でよい。特に難しい部分はない。
問二
傍線部(B)の主語は、道綱母である。「引きつくろふ」は、「体裁を整える、改まる」、「うつろふ」は、「色あせる」の意味。兼家からの訪れが途絶え、愛情が感じられなくなった道綱母は、皮肉の意味を込めて、手紙を色あせた花に添えて、兼家の許に届けたという論理である。
問三
冬来たりなば春遠からじ
2013年3月26日火曜日
99年東京大文系国語
1999年 東京大 文系 第五問
(問題)次の文章を読んで、後の設問に答えよ。
嘆きつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る
『拾遺集』恋四、「入道摂政まかりたりけるに、門をおそく開けければ、立ちわづらひぬと言ひ入れて侍りければ、詠みて出だしける」とあり。今宵もやとわびながら、独りうち寝る夜な夜なの明けゆくほどは、いかばかり久しきものとか知り給へる、となり。ア門を開くる間をだに、しかのたまふ御心にひきあてておぼしやり給へと、イこのごろ夜がれがちなる下の恨みを、ことのついでにうち出でたるなり。『蜻蛉日記』に、この門をたたき給へることを、つひに開けずして帰しまゐらせて、明くるあした、こなたより読みてつかはせしやうに書けるは、ひがごとなり。ウ「ひとり寝る夜のあくる間は」といひ、「いかに久しき」と言へるは、門開くるあひだのおそきを、わび給へしにくらべたるなり。つひに開けずしてやみたらんには何にあたりてか、「あくる間は」とも、「久しき」とも詠み出づべき。
(『百首異見』による)
問一 「門開くる間をだに、しかのたまふ」(傍線部ア)を、「しか」の内容が明らかになるように現代語訳せよ。
問二 「このごろ……うち出でたるなり」(傍線部イ)とはどういうことか、簡潔に説明せよ。
問三 「『ひとり寝る夜のあくる間は』といひ、……くらべたるなり」(傍線部ウ)とあるが、この解釈にしたがって、「嘆きつつ……」の歌を現代語訳せよ。
(解説)
『蜻蛉日記』「うつろひたる菊」の履修経験が解答の出来を大きく左右するものと思われる。なお、類題としては、『百人一首一夕話』を題材とした、2007年大阪大(法・経済・人間科学)がある。
(問題)次の文章を読んで、後の設問に答えよ。
嘆きつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る
『拾遺集』恋四、「入道摂政まかりたりけるに、門をおそく開けければ、立ちわづらひぬと言ひ入れて侍りければ、詠みて出だしける」とあり。今宵もやとわびながら、独りうち寝る夜な夜なの明けゆくほどは、いかばかり久しきものとか知り給へる、となり。ア門を開くる間をだに、しかのたまふ御心にひきあてておぼしやり給へと、イこのごろ夜がれがちなる下の恨みを、ことのついでにうち出でたるなり。『蜻蛉日記』に、この門をたたき給へることを、つひに開けずして帰しまゐらせて、明くるあした、こなたより読みてつかはせしやうに書けるは、ひがごとなり。ウ「ひとり寝る夜のあくる間は」といひ、「いかに久しき」と言へるは、門開くるあひだのおそきを、わび給へしにくらべたるなり。つひに開けずしてやみたらんには何にあたりてか、「あくる間は」とも、「久しき」とも詠み出づべき。
(『百首異見』による)
問一 「門開くる間をだに、しかのたまふ」(傍線部ア)を、「しか」の内容が明らかになるように現代語訳せよ。
問二 「このごろ……うち出でたるなり」(傍線部イ)とはどういうことか、簡潔に説明せよ。
問三 「『ひとり寝る夜のあくる間は』といひ、……くらべたるなり」(傍線部ウ)とあるが、この解釈にしたがって、「嘆きつつ……」の歌を現代語訳せよ。
(解説)
『蜻蛉日記』「うつろひたる菊」の履修経験が解答の出来を大きく左右するものと思われる。なお、類題としては、『百人一首一夕話』を題材とした、2007年大阪大(法・経済・人間科学)がある。
05年北海道大文系国語
2005年 北海道大 文系 第一問
(問題)次の文章は山内美郷「完全な会話」の全文である。読んで設問に答えよ。
小学校の時から電車通学だったので、朝のラッシュアワーの満員電車とは切っても切れない関係でしたが、幸いここ何年かは全く1エンがなくなっていました。ところが先日、朝早い用事ができて、どうしてもラッシュアワーの電車に乗らなければならなくなったのです。
駅に到着した電車はすでにもう満員に近い状態でしたが、そこはそれむかし取った杵柄で、我ながら実に2ヨウリョウよく、比較的すいている奥へ入り込んで行きました。
つり革につかまると、かえって不利なのを知っていましたから、つり革とつり革の通路で電車の3シンドウに身をまかせていたのですが、次の大きなターミナル駅で到底入りきるはずのない人数の人がどっと乗って来てしまったのです。私はアッという間につり革へ、つり革から4アミダナへとつかまる位置を替え、とうとう窓わくに手をついて体を支えるところまで押し出されてしまいました。私の前、というよりも5フトコロの中に座っていた人が膝の位置を工夫してくれたので、私は何とかなりましたが、気の毒だったのは私の隣の男です。前に座っている男が片足を引っこめないので、のめったような6カッコウでした。彼の顔は見る見る赤くなり遂に堪忍袋の緒が切れました。
「足を引っ込めろよ!」
座っていた男は視線を落としたア無表情な顔のまま、ペコッと頭を下げました。そのとき私も、怒鳴った男も、彼の迷惑な片足が良くできた義足であることに気づいたのです。
隣の私にも分るほど、A怒鳴った男は自分の言ってしまった言葉に傷ついていました。座っていた男はその男が傷ついていることに気づいて、初めてイ優しい表情のある視線を彼に向けました。怒鳴った男と怒鳴られた男、二人の視線がそのときぶつかりました。それは一秒にも満たないほんの一瞬のことでしたが、どんなに長い言葉でも文章でも表わせない、それはB完全な会話でした。
コンピュータがどんなに進歩しても人間にはかなわないと思いました。
問一 傍線部1~6の片仮名を漢字に改めよ。
問二 傍線部Aについて、なぜ怒鳴った男は、自分の言った言葉に傷ついたのか、四十五字以内で説明せよ。
問三 二重傍線部アとイの違いを対比させて、怒鳴られた男の心情の変化を八〇字以内で説明せよ。
問四 傍線部Bについて、筆者はどうしてこのやりとりを「完全な会話」と考えたのか、四十五字以内で説明せよ。
(解説)
北大国語は2005年度まで、2題のうち1題が、本問のような随筆の問題であった。現行の教育課程となってからは、文学部と教育・法・経済学部が共通の問題となり、以後、論理的文章が2題出題されている。
問二
以下、問三および問四とも共通するが、本問題は、随筆からの出題であるため、ある程度自分で論拠の省略を補うことが求められる。
怒鳴った男が傷ついたのは、自分が言葉を発した後で、彼が義足の持ち主であることに気付いたからである。また、身体の不自由な彼に対する、「足を引っ込めろよ!」という発言は、軽率かつ不用意なものであったからである。解答としては、これら2点を中心にまとめればよいが、傍線部Aの構造を考えると、自分の言葉に対する反省、といった内容も含めたいところである。
問三
傍線部アでは、怒鳴った男が、まだ隣の男が義足の持ち主であることに気付いていないが、傍線部イでは、それに気付き、さらに自分の不用意な発言に対して気に病んでいる。さらに、義足の持ち主は、それを察し、「優しい表情のある視線を彼に向け」たのである。
つまり、簡単にまとめれば、傍線部アでは、男に怒鳴られたために半ば義務的に謝意を示したが、傍線部イでは、男が自分の発言に気を病んでいることを察し、これ以上気に病まないように気遣った、という論理関係である。これを中心に、八〇字程度でまとめる。
問四
傍線部Bを含む一文の主語は、「それ」という指示語であるから、この内容を明らかにすると、「二人の視線のぶつかりあい」ということになる。つまり、言葉が用いられない、視線のぶつかりあいを、筆者がどうして「完全な会話」というのか、その逆説的な内容を説明する問題に帰着できる(ただし、解答の構文は、設問の要求を満たすこと)。
ここからは、自分で論拠の省略を補う必要がある。「会話」の役割が、「互いの意思を通じさせること」と理解できれば、二人は、言葉を介することなく、互いの意思を十分に疎通しあうことができた、と理解することができる。なお、傍線部Bが「『完全な』会話」となっている以上、二人の意思は、十分に疎通しあえていると考えられ、それも解答に含められるとよい。
(問題)次の文章は山内美郷「完全な会話」の全文である。読んで設問に答えよ。
小学校の時から電車通学だったので、朝のラッシュアワーの満員電車とは切っても切れない関係でしたが、幸いここ何年かは全く1エンがなくなっていました。ところが先日、朝早い用事ができて、どうしてもラッシュアワーの電車に乗らなければならなくなったのです。
駅に到着した電車はすでにもう満員に近い状態でしたが、そこはそれむかし取った杵柄で、我ながら実に2ヨウリョウよく、比較的すいている奥へ入り込んで行きました。
つり革につかまると、かえって不利なのを知っていましたから、つり革とつり革の通路で電車の3シンドウに身をまかせていたのですが、次の大きなターミナル駅で到底入りきるはずのない人数の人がどっと乗って来てしまったのです。私はアッという間につり革へ、つり革から4アミダナへとつかまる位置を替え、とうとう窓わくに手をついて体を支えるところまで押し出されてしまいました。私の前、というよりも5フトコロの中に座っていた人が膝の位置を工夫してくれたので、私は何とかなりましたが、気の毒だったのは私の隣の男です。前に座っている男が片足を引っこめないので、のめったような6カッコウでした。彼の顔は見る見る赤くなり遂に堪忍袋の緒が切れました。
「足を引っ込めろよ!」
座っていた男は視線を落としたア無表情な顔のまま、ペコッと頭を下げました。そのとき私も、怒鳴った男も、彼の迷惑な片足が良くできた義足であることに気づいたのです。
隣の私にも分るほど、A怒鳴った男は自分の言ってしまった言葉に傷ついていました。座っていた男はその男が傷ついていることに気づいて、初めてイ優しい表情のある視線を彼に向けました。怒鳴った男と怒鳴られた男、二人の視線がそのときぶつかりました。それは一秒にも満たないほんの一瞬のことでしたが、どんなに長い言葉でも文章でも表わせない、それはB完全な会話でした。
コンピュータがどんなに進歩しても人間にはかなわないと思いました。
問一 傍線部1~6の片仮名を漢字に改めよ。
問二 傍線部Aについて、なぜ怒鳴った男は、自分の言った言葉に傷ついたのか、四十五字以内で説明せよ。
問三 二重傍線部アとイの違いを対比させて、怒鳴られた男の心情の変化を八〇字以内で説明せよ。
問四 傍線部Bについて、筆者はどうしてこのやりとりを「完全な会話」と考えたのか、四十五字以内で説明せよ。
(解説)
北大国語は2005年度まで、2題のうち1題が、本問のような随筆の問題であった。現行の教育課程となってからは、文学部と教育・法・経済学部が共通の問題となり、以後、論理的文章が2題出題されている。
問二
以下、問三および問四とも共通するが、本問題は、随筆からの出題であるため、ある程度自分で論拠の省略を補うことが求められる。
怒鳴った男が傷ついたのは、自分が言葉を発した後で、彼が義足の持ち主であることに気付いたからである。また、身体の不自由な彼に対する、「足を引っ込めろよ!」という発言は、軽率かつ不用意なものであったからである。解答としては、これら2点を中心にまとめればよいが、傍線部Aの構造を考えると、自分の言葉に対する反省、といった内容も含めたいところである。
問三
傍線部アでは、怒鳴った男が、まだ隣の男が義足の持ち主であることに気付いていないが、傍線部イでは、それに気付き、さらに自分の不用意な発言に対して気に病んでいる。さらに、義足の持ち主は、それを察し、「優しい表情のある視線を彼に向け」たのである。
つまり、簡単にまとめれば、傍線部アでは、男に怒鳴られたために半ば義務的に謝意を示したが、傍線部イでは、男が自分の発言に気を病んでいることを察し、これ以上気に病まないように気遣った、という論理関係である。これを中心に、八〇字程度でまとめる。
問四
傍線部Bを含む一文の主語は、「それ」という指示語であるから、この内容を明らかにすると、「二人の視線のぶつかりあい」ということになる。つまり、言葉が用いられない、視線のぶつかりあいを、筆者がどうして「完全な会話」というのか、その逆説的な内容を説明する問題に帰着できる(ただし、解答の構文は、設問の要求を満たすこと)。
ここからは、自分で論拠の省略を補う必要がある。「会話」の役割が、「互いの意思を通じさせること」と理解できれば、二人は、言葉を介することなく、互いの意思を十分に疎通しあうことができた、と理解することができる。なお、傍線部Bが「『完全な』会話」となっている以上、二人の意思は、十分に疎通しあえていると考えられ、それも解答に含められるとよい。
97年東北大文系国語
1997年 東北大 文系 第3問
(問題)次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。
(問題)次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。
かくいふほどに、七月になりぬ。七日、すきごとどもする人のもとより、(A)たなばたひこぼしといふことどもあまたあれど、目も立たず。かかる折に、宮の過ごさずのたまはせしものを、げにおぼしめし忘れにけるかなと思ふほどにぞ、御文ある。見れば、ただかくぞ。
思ひきや七夕つ女に身をなして天の河原をながむべしとは
とあり。さはいへど、ア過ごしたまはざめるはと思ふも、をかしうて、
ながむらむ空をだに見ず七夕に忌まるばかりのわが身と思へば
とあるを御覧じても、なほえ思ひはなつまじうおぼす。
(1)つごもりがたに、「いとおぼつかなくなりにけるを、などかときどきは。人かずにおぼさぬなめり」とあれば、女、
寝ざめねば聞かぬなるらむ荻風は吹かざらめやは秋の夜な夜な
と聞こえたれば、立ち返り、「イあが君や、寝ざめとか。『もの思ふ時は』とぞ。おろかに、
荻風は吹かばいも寝で今よりぞおどろかすかと聞くべかりける」
かくて二日ばかりありて、夕暮に、にはかに御車を引き入れて、下りさせたまへば、また、見えたてまつらねば、いとはずかしう思へど(2)せむかたなく。なにとなきことなどのたまはせて、帰らせたまひぬ。
そののち、日ごろになりぬるに、いと(3)おぼつかなきまで、音もしたまはねば、
「くれぐれと秋の日ごろのふるままに思ひ知られぬあやしかりしも
むべ人は」と聞こえたり。「このほどに、おぼつかなくなりにけり。されど、
人はいさわれは忘れずほどふれど秋の夕暮ありしあふこと
とあり。あはれにはかなく、頼むべくもなき(B)かやうのはかなしごとに、世の中をなぐさめてあるも、ウうち思へばあさましう。
(『和泉式部日記』による)
(注)○荻風―荻に吹く風のことであるが、招き寄せる意の「招く」をかけている。
○『もの思ふ時は』―紀貫之の和歌「人知れずもの思ふときは難波なる蘆のしら根のしらねやはする」の第二句を引く。「しらね」は独り寝のこと。
問一 傍線部(1)(2)(3)の語の意味を記せ。
問二 傍線部(A)(B)はそれぞれ具体的には何を指しているか、説明せよ。
問三 傍線部アを主語を明らかにして解釈せよ。
問四 傍線部イ「あが君や、寝ざめとか。『もの思ふ時は』とぞ」について、これは前の歌に対してどのように反論しているのか、簡潔に説明せよ。
問五 傍線部ウ「うち思へばあさましう」とあるが、ここには女のどのような気持ちが表されているか、五〇字以内で説明せよ。
(解答・解説)
東北大のこの問題は、大学入試の古文としては、最難問レベルである。東北大の受験生であっても、十分な答案を書けたものは、ほとんどいないのではないだろうか。
問二
(A)「こと」は、ここでは「言」を漢字にあてて、「言葉、和歌」の意味になる。「事」で解さないように注意すること。
(B)「はかなし」が、「あっけない」の意味で用いられている。詳しくは、問五の解説を参照。
問三
『和泉式部日記』では、地の文において、尊敬表現があれば、宮、なければ、女が主体であることを念頭にいれつつ、傍線部を確認すること。「過ごしたまはざめるは」という部分には、尊敬表現があることから、主体を、宮と確定させる。一方、このように「思」った主体は、尊敬表現がない女と分かる。
「過ごす」は、ここでは「見過ごす」の意味。また、「ざめり」という表現は、打消の助動詞「ず」の連体形に、推量の助動詞「めり」が付された「ざるめり」の撥音無表記である。
問四
難問。引き歌では、引用されなかった部分がメッセージとなる。よってここでは、「しらねやはする(=独り寝をしようか、いやしない。)」が、意味の中心となる。また、「寝覚め」とは、「物思いなどで、眠りから目を覚ます」ことを意味する。
直前の和歌を解釈すると、「あなたは、お目覚めにならないので、お聞きにならないのでしょう。あなたを招く荻風が、秋の毎晩吹かないことがどうしてありましょうか。いや、ありません。」となる。
これらを踏まえると、女は、寝覚めることがない(=一度眠りについて、それから目を覚ますことがない)と言っているが、宮は、そもそも眠りにつくことすらできていない、と反論していることが分かる。これらを五〇字に圧縮して解答する。
問五
傍線部を含む一文の大意は、次のようになる。「このような頼りにならないような、和歌の贈答で、宮との関係をつなぎとめている、というのも、考えてみればむなしいことだよ。」
「頼む」は、四段活用で「頼りにする」、下二段活用で「頼りにさせる」の意味である。ここでは、前者。すなわち、「女が、直接会ってはくれない宮のことをあてにできない」ことを述べている。また、「世の中」は、「男女の仲」の意味で解すること。すなわちここでは、「宮と女の恋愛関係」のことを述べている。
思ひきや七夕つ女に身をなして天の河原をながむべしとは
とあり。さはいへど、ア過ごしたまはざめるはと思ふも、をかしうて、
ながむらむ空をだに見ず七夕に忌まるばかりのわが身と思へば
とあるを御覧じても、なほえ思ひはなつまじうおぼす。
(1)つごもりがたに、「いとおぼつかなくなりにけるを、などかときどきは。人かずにおぼさぬなめり」とあれば、女、
寝ざめねば聞かぬなるらむ荻風は吹かざらめやは秋の夜な夜な
と聞こえたれば、立ち返り、「イあが君や、寝ざめとか。『もの思ふ時は』とぞ。おろかに、
荻風は吹かばいも寝で今よりぞおどろかすかと聞くべかりける」
かくて二日ばかりありて、夕暮に、にはかに御車を引き入れて、下りさせたまへば、また、見えたてまつらねば、いとはずかしう思へど(2)せむかたなく。なにとなきことなどのたまはせて、帰らせたまひぬ。
そののち、日ごろになりぬるに、いと(3)おぼつかなきまで、音もしたまはねば、
「くれぐれと秋の日ごろのふるままに思ひ知られぬあやしかりしも
むべ人は」と聞こえたり。「このほどに、おぼつかなくなりにけり。されど、
人はいさわれは忘れずほどふれど秋の夕暮ありしあふこと
とあり。あはれにはかなく、頼むべくもなき(B)かやうのはかなしごとに、世の中をなぐさめてあるも、ウうち思へばあさましう。
(『和泉式部日記』による)
(注)○荻風―荻に吹く風のことであるが、招き寄せる意の「招く」をかけている。
○『もの思ふ時は』―紀貫之の和歌「人知れずもの思ふときは難波なる蘆のしら根のしらねやはする」の第二句を引く。「しらね」は独り寝のこと。
問一 傍線部(1)(2)(3)の語の意味を記せ。
問二 傍線部(A)(B)はそれぞれ具体的には何を指しているか、説明せよ。
問三 傍線部アを主語を明らかにして解釈せよ。
問四 傍線部イ「あが君や、寝ざめとか。『もの思ふ時は』とぞ」について、これは前の歌に対してどのように反論しているのか、簡潔に説明せよ。
問五 傍線部ウ「うち思へばあさましう」とあるが、ここには女のどのような気持ちが表されているか、五〇字以内で説明せよ。
(解答・解説)
東北大のこの問題は、大学入試の古文としては、最難問レベルである。東北大の受験生であっても、十分な答案を書けたものは、ほとんどいないのではないだろうか。
問二
(A)「こと」は、ここでは「言」を漢字にあてて、「言葉、和歌」の意味になる。「事」で解さないように注意すること。
(B)「はかなし」が、「あっけない」の意味で用いられている。詳しくは、問五の解説を参照。
問三
『和泉式部日記』では、地の文において、尊敬表現があれば、宮、なければ、女が主体であることを念頭にいれつつ、傍線部を確認すること。「過ごしたまはざめるは」という部分には、尊敬表現があることから、主体を、宮と確定させる。一方、このように「思」った主体は、尊敬表現がない女と分かる。
「過ごす」は、ここでは「見過ごす」の意味。また、「ざめり」という表現は、打消の助動詞「ず」の連体形に、推量の助動詞「めり」が付された「ざるめり」の撥音無表記である。
問四
難問。引き歌では、引用されなかった部分がメッセージとなる。よってここでは、「しらねやはする(=独り寝をしようか、いやしない。)」が、意味の中心となる。また、「寝覚め」とは、「物思いなどで、眠りから目を覚ます」ことを意味する。
直前の和歌を解釈すると、「あなたは、お目覚めにならないので、お聞きにならないのでしょう。あなたを招く荻風が、秋の毎晩吹かないことがどうしてありましょうか。いや、ありません。」となる。
これらを踏まえると、女は、寝覚めることがない(=一度眠りについて、それから目を覚ますことがない)と言っているが、宮は、そもそも眠りにつくことすらできていない、と反論していることが分かる。これらを五〇字に圧縮して解答する。
問五
傍線部を含む一文の大意は、次のようになる。「このような頼りにならないような、和歌の贈答で、宮との関係をつなぎとめている、というのも、考えてみればむなしいことだよ。」
「頼む」は、四段活用で「頼りにする」、下二段活用で「頼りにさせる」の意味である。ここでは、前者。すなわち、「女が、直接会ってはくれない宮のことをあてにできない」ことを述べている。また、「世の中」は、「男女の仲」の意味で解すること。すなわちここでは、「宮と女の恋愛関係」のことを述べている。
93年東京大文系国語
1993年 東京大 文系 第五問
(問題)次の文章を読んで、後の設問に答えよ。
ケレーニイは、旅行者の基本的な態度を、ヘルメス型とゼウス型の二つに分けている。旅において日常の自己から離れ、別世界に投入しようとするのがヘルメス型、旅先でも常に日常生活の原則を守り、旅宿をもわが家にしてしまわねば気がすまないのがゼウス型、というわけである。
このように分けた所で、明確な線が引けるという保証はない。たとえば芭蕉が『おくのほそ道』の冒頭に記した「日々旅にして旅を栖とす」という言葉など、ア日常性への固執を排し一所不住の志を示したと見ればヘルメス型だが、旅を「日々」の常態にしてしまっている、つまりそういう形での日常に安住していると取ればゼウス型だともいえる。実際、イ芭蕉がその衣鉢を継いだ前代の旅人たちが、歌枕を訪ね、あらかじめ指定されている名所を目指して遍歴したのは、かねてから心に貯えていたイメージや知識を、行った先でたしかめただけのことで、別世界に赴いたとは到底いえないと考えればそれまでである。
結局は、自分の現在の生活に何の疑問も抱かず、自信満々の態度でどこにでも踏み込んで平然としておられる剛の者を、旅人と呼べるかどうかである。ヘルメスは人間の魂を生から死の世界へ導く神、日本なら道祖神に当たる。「道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず」、歌枕をめざす雑踏は、生から死への旅にもなぞらえられ得るので、いずれにせよあだやおろそかなことであるはずはない。ゼウスは世界に遍在して到る所を自分の支配下におく神だから、円の威力にものを言わせて全世界を股にかけるウ現代日本の旅行者にはふさわしい守護神だが、ケレーニイの考えでは、この神のもとではエ旅の奥義は悟られないのである。
(川村 二郎「書かれた旅17 旅の奥義はヘルメス型」による)
注 ケレーニイ ハンガリー生まれの神話学者。
問一 「日常性への固執を排し一所不住の志を示した」(傍線部ア)とはどういう意味か、わかりやすく説明せよ(13.8cm×2行)。
問二 「芭蕉がその衣鉢を継いだ前代の旅人たち」(傍線部イ)にはどのような人物が考えられるか、一人挙げよ。
問三 「現代日本の旅行者にはふさわしい守護神」(傍線部ウ)を、全体の論旨に即して、自分のことばで説明せよ(13.8cm×2行)。
問四 筆者の考える「旅の奥義」(傍線部エ)とはどういうことか、簡潔に説明せよ(13.8cm×2行)。
(解説)
東大文系が、150分で7問を解答させていた時期の問題である。その頃は、現代文、古文、漢文ともに文章量が今よりもずっと少なかったが、それでも1993年のこの問題文は、かなり短い。
問一
傍線部アは、ヘルメス型についての言及である。それを踏まえて、「一所不住」の意味を、文脈に沿うように説明することが求められている。広辞苑には、「一定の住所を定めないこと」と説明されているが、これは、この文脈においては、「旅によって各地を点々し、自分の居所を定めなかった」ぐらいで解せばよい。これを中心に、第1段落で述べられているヘルメス型の特徴も踏まえて、解答をまとめればよい。
問三
傍線部ウは、「ゼウスが、現代日本の旅行者にふさわしい守護神だ」という意味であることをまずは確認すること。これが理解できれば、本問は、「ゼウスは、なぜ現代日本の旅行者にふさわしい守護神なのか」という理由説明問題に帰着することができる(ただし、解答の構文は、設問の要求を満たすように書くこと)。
では、その理由は何か。ゼウスと、現代日本の旅行者には、ある共通点があるからである。現代日本の旅行者の特徴である「円の威力にものを言わせて全世界を股にかける」というのは、言い換えれば、「経済力によって半ば強引に世界のあらゆる地域に進出する」ということである。よって、「ゼウスと現代日本の旅行者は、世界各地を支配しようとする」という共通点を見出すことができる。これを中心に、「自分のことばで」まとめる。
問四
筆者の考える「旅の奥義」とは、当然ながらヘルメス型である。第1段落、第2段落から、ヘルメス型に関する次の記述を得るが、(2)は、傍線部アと同一箇所であるため、問一との解答の棲み分けが求められている点に注意が必要である。
(1)旅において日常の自己から離れ、別世界に投入しようとする
(2)日常性への固執を排し一所不住の志を示した
また、ヘルメス自身については、第3段落に次のような記述(3)がある。これを踏まえて(1)(2)を要約する必要がある。ただし、(3)は、あくまでヘルメス「自身」の記述であることに注意し、実際の解答においては、「生」や「死」などの言葉を用いないようにすること。
(3)人間の魂を生から死の世界へ導く神
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