(問題)次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。
かくいふほどに、七月になりぬ。七日、すきごとどもする人のもとより、(A)たなばたひこぼしといふことどもあまたあれど、目も立たず。かかる折に、宮の過ごさずのたまはせしものを、げにおぼしめし忘れにけるかなと思ふほどにぞ、御文ある。見れば、ただかくぞ。
思ひきや七夕つ女に身をなして天の河原をながむべしとは
とあり。さはいへど、ア過ごしたまはざめるはと思ふも、をかしうて、
ながむらむ空をだに見ず七夕に忌まるばかりのわが身と思へば
とあるを御覧じても、なほえ思ひはなつまじうおぼす。
(1)つごもりがたに、「いとおぼつかなくなりにけるを、などかときどきは。人かずにおぼさぬなめり」とあれば、女、
寝ざめねば聞かぬなるらむ荻風は吹かざらめやは秋の夜な夜な
と聞こえたれば、立ち返り、「イあが君や、寝ざめとか。『もの思ふ時は』とぞ。おろかに、
荻風は吹かばいも寝で今よりぞおどろかすかと聞くべかりける」
かくて二日ばかりありて、夕暮に、にはかに御車を引き入れて、下りさせたまへば、また、見えたてまつらねば、いとはずかしう思へど(2)せむかたなく。なにとなきことなどのたまはせて、帰らせたまひぬ。
そののち、日ごろになりぬるに、いと(3)おぼつかなきまで、音もしたまはねば、
「くれぐれと秋の日ごろのふるままに思ひ知られぬあやしかりしも
むべ人は」と聞こえたり。「このほどに、おぼつかなくなりにけり。されど、
人はいさわれは忘れずほどふれど秋の夕暮ありしあふこと
とあり。あはれにはかなく、頼むべくもなき(B)かやうのはかなしごとに、世の中をなぐさめてあるも、ウうち思へばあさましう。
(『和泉式部日記』による)
(注)○荻風―荻に吹く風のことであるが、招き寄せる意の「招く」をかけている。
○『もの思ふ時は』―紀貫之の和歌「人知れずもの思ふときは難波なる蘆のしら根のしらねやはする」の第二句を引く。「しらね」は独り寝のこと。
問一 傍線部(1)(2)(3)の語の意味を記せ。
問二 傍線部(A)(B)はそれぞれ具体的には何を指しているか、説明せよ。
問三 傍線部アを主語を明らかにして解釈せよ。
問四 傍線部イ「あが君や、寝ざめとか。『もの思ふ時は』とぞ」について、これは前の歌に対してどのように反論しているのか、簡潔に説明せよ。
問五 傍線部ウ「うち思へばあさましう」とあるが、ここには女のどのような気持ちが表されているか、五〇字以内で説明せよ。
(解答・解説)
東北大のこの問題は、大学入試の古文としては、最難問レベルである。東北大の受験生であっても、十分な答案を書けたものは、ほとんどいないのではないだろうか。
問二
(A)「こと」は、ここでは「言」を漢字にあてて、「言葉、和歌」の意味になる。「事」で解さないように注意すること。
(B)「はかなし」が、「あっけない」の意味で用いられている。詳しくは、問五の解説を参照。
問三
『和泉式部日記』では、地の文において、尊敬表現があれば、宮、なければ、女が主体であることを念頭にいれつつ、傍線部を確認すること。「過ごしたまはざめるは」という部分には、尊敬表現があることから、主体を、宮と確定させる。一方、このように「思」った主体は、尊敬表現がない女と分かる。
「過ごす」は、ここでは「見過ごす」の意味。また、「ざめり」という表現は、打消の助動詞「ず」の連体形に、推量の助動詞「めり」が付された「ざるめり」の撥音無表記である。
問四
難問。引き歌では、引用されなかった部分がメッセージとなる。よってここでは、「しらねやはする(=独り寝をしようか、いやしない。)」が、意味の中心となる。また、「寝覚め」とは、「物思いなどで、眠りから目を覚ます」ことを意味する。
直前の和歌を解釈すると、「あなたは、お目覚めにならないので、お聞きにならないのでしょう。あなたを招く荻風が、秋の毎晩吹かないことがどうしてありましょうか。いや、ありません。」となる。
これらを踏まえると、女は、寝覚めることがない(=一度眠りについて、それから目を覚ますことがない)と言っているが、宮は、そもそも眠りにつくことすらできていない、と反論していることが分かる。これらを五〇字に圧縮して解答する。
問五
傍線部を含む一文の大意は、次のようになる。「このような頼りにならないような、和歌の贈答で、宮との関係をつなぎとめている、というのも、考えてみればむなしいことだよ。」
「頼む」は、四段活用で「頼りにする」、下二段活用で「頼りにさせる」の意味である。ここでは、前者。すなわち、「女が、直接会ってはくれない宮のことをあてにできない」ことを述べている。また、「世の中」は、「男女の仲」の意味で解すること。すなわちここでは、「宮と女の恋愛関係」のことを述べている。
思ひきや七夕つ女に身をなして天の河原をながむべしとは
とあり。さはいへど、ア過ごしたまはざめるはと思ふも、をかしうて、
ながむらむ空をだに見ず七夕に忌まるばかりのわが身と思へば
とあるを御覧じても、なほえ思ひはなつまじうおぼす。
(1)つごもりがたに、「いとおぼつかなくなりにけるを、などかときどきは。人かずにおぼさぬなめり」とあれば、女、
寝ざめねば聞かぬなるらむ荻風は吹かざらめやは秋の夜な夜な
と聞こえたれば、立ち返り、「イあが君や、寝ざめとか。『もの思ふ時は』とぞ。おろかに、
荻風は吹かばいも寝で今よりぞおどろかすかと聞くべかりける」
かくて二日ばかりありて、夕暮に、にはかに御車を引き入れて、下りさせたまへば、また、見えたてまつらねば、いとはずかしう思へど(2)せむかたなく。なにとなきことなどのたまはせて、帰らせたまひぬ。
そののち、日ごろになりぬるに、いと(3)おぼつかなきまで、音もしたまはねば、
「くれぐれと秋の日ごろのふるままに思ひ知られぬあやしかりしも
むべ人は」と聞こえたり。「このほどに、おぼつかなくなりにけり。されど、
人はいさわれは忘れずほどふれど秋の夕暮ありしあふこと
とあり。あはれにはかなく、頼むべくもなき(B)かやうのはかなしごとに、世の中をなぐさめてあるも、ウうち思へばあさましう。
(『和泉式部日記』による)
(注)○荻風―荻に吹く風のことであるが、招き寄せる意の「招く」をかけている。
○『もの思ふ時は』―紀貫之の和歌「人知れずもの思ふときは難波なる蘆のしら根のしらねやはする」の第二句を引く。「しらね」は独り寝のこと。
問一 傍線部(1)(2)(3)の語の意味を記せ。
問二 傍線部(A)(B)はそれぞれ具体的には何を指しているか、説明せよ。
問三 傍線部アを主語を明らかにして解釈せよ。
問四 傍線部イ「あが君や、寝ざめとか。『もの思ふ時は』とぞ」について、これは前の歌に対してどのように反論しているのか、簡潔に説明せよ。
問五 傍線部ウ「うち思へばあさましう」とあるが、ここには女のどのような気持ちが表されているか、五〇字以内で説明せよ。
(解答・解説)
東北大のこの問題は、大学入試の古文としては、最難問レベルである。東北大の受験生であっても、十分な答案を書けたものは、ほとんどいないのではないだろうか。
問二
(A)「こと」は、ここでは「言」を漢字にあてて、「言葉、和歌」の意味になる。「事」で解さないように注意すること。
(B)「はかなし」が、「あっけない」の意味で用いられている。詳しくは、問五の解説を参照。
問三
『和泉式部日記』では、地の文において、尊敬表現があれば、宮、なければ、女が主体であることを念頭にいれつつ、傍線部を確認すること。「過ごしたまはざめるは」という部分には、尊敬表現があることから、主体を、宮と確定させる。一方、このように「思」った主体は、尊敬表現がない女と分かる。
「過ごす」は、ここでは「見過ごす」の意味。また、「ざめり」という表現は、打消の助動詞「ず」の連体形に、推量の助動詞「めり」が付された「ざるめり」の撥音無表記である。
問四
難問。引き歌では、引用されなかった部分がメッセージとなる。よってここでは、「しらねやはする(=独り寝をしようか、いやしない。)」が、意味の中心となる。また、「寝覚め」とは、「物思いなどで、眠りから目を覚ます」ことを意味する。
直前の和歌を解釈すると、「あなたは、お目覚めにならないので、お聞きにならないのでしょう。あなたを招く荻風が、秋の毎晩吹かないことがどうしてありましょうか。いや、ありません。」となる。
これらを踏まえると、女は、寝覚めることがない(=一度眠りについて、それから目を覚ますことがない)と言っているが、宮は、そもそも眠りにつくことすらできていない、と反論していることが分かる。これらを五〇字に圧縮して解答する。
問五
傍線部を含む一文の大意は、次のようになる。「このような頼りにならないような、和歌の贈答で、宮との関係をつなぎとめている、というのも、考えてみればむなしいことだよ。」
「頼む」は、四段活用で「頼りにする」、下二段活用で「頼りにさせる」の意味である。ここでは、前者。すなわち、「女が、直接会ってはくれない宮のことをあてにできない」ことを述べている。また、「世の中」は、「男女の仲」の意味で解すること。すなわちここでは、「宮と女の恋愛関係」のことを述べている。
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